生きれば生きるほど、挑戦すればするほど、自分の無力さを知っていく。

できるようになったことは、平行線に近いほどゆるやかなペースで増えていく。
そして同時にできないことも増えていく。こちらは垂直に近い急激なペースで。

できないことに気づいていくと言うのが正確だけれど。

例えば「あ」を手本のごとき美しさで書けるようになりたいと練習しながら、「い」~「ん」についても練習が必要だと思い知る。その瞬間カタカナの「ア」~「ン」のことも浮かび、アルファベットと漢字のこともすぐさま気づく。
横書きは上手でも縦書きは下手なこと、ペン次第で下手になることもどんどん気づいていく。

こんな感じで、できないこと、知らないことが増えていき、できるようになったことが増えるほどに、自分がいかに無力であるかも思い知っていく。

祈りには2種類ある。
個別具体的な内容を祈るものと、そうでないものだ。
前者は、「明日は遊園地に行くから晴れますように」というもの。
後者は「明日が最良の日となりますように」というもの。

祈りが通じて晴れて遊園地に行ったら、鞄を盗まれて現金20万円を失いキャッシュカードやクレジットカードの停止手続きなどに追われるかもしれない。

祈りが通じなくて雨が降って、遊園地ではなく近所の美術館に出かけたら理想の恋人像ピッタリの人に出会うかもしれない。

そう。あまりにも無知で無力な私には、晴天を祈ることが自分に何をもたらすのか予想することができないのだ。
何を祈ればいいのかさえわからないのだ。

自分のことならまだいい。
他人のことはどうだろう。良かれと思って個別具体的な祈りをしてそれが通じたことにより、その人に良からぬことが起きてもそれを受け入れなければならないのは私ではない。

私の毎日の祈りの内容はこうだ。

「BUMP OF CHICKENの4人にとって最良の今日になるよう、全宇宙、全神様の皆様、御取り計らいをお願いいたします」

彼らが最良の今日に作った音楽が最良の形で最適なリスナーに届き、各リスナーがその曲から最良の何かを見つけ出し、その人自身を助けたり笑顔にしたり、前に進めたり、何らかの最良の結果を得られる流れをイメージしながら。

祈りが通じたか否か確かめるすべがないのがこの祈り方。
でも私は祈りたいので祈る。

ちなみに、私は個別具体的な祈りもする。そういう祈りがいかに心を豊かにして実現のために全力になれるか知っているので。

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